「信号ボンドの歴史」
我が国最初の自動信号区間である甲武鉄道 飯田町・新宿間の直流軌道回路に4.5mm錆止め鉄線を軟銅製のピンでレールに打ち込んだのが始まりですが、この鉄線は堅くて作業性が悪いことと、レールへの接触不良が生じ易いため、線材を4mmの銅線に変更したところ、高価な銅線が鉄道線路に多量に付いている事が一般に知れ渡り、これを盗んで換金する事件が大正の末から昭和の初めにかけて京阪神地方で頻発し担当者はその対策に苦慮することとなったそうです。当時鉄道省に出入りしていた当社の前身である「小林商店」の創業者小林寅男がこの間の事情を知り、昭和2年の末頃TK式銅鉄ボンドを考案し、鉄道省がこれを検討して採用したそうです。これは全長1,120mm、1,260mm、1,370mm の3種類あり、主体を4mm鉄線とし、その両端に銅線を鉄線に溶着し、溶着部分を更に銅スリーブで補強したものです。

レールへの取付部は銅線であるため取付方法は銅線ボンドと全く同一であり、しかも主体は換金性の低い鉄線であるため盗難事件は全く解消されたそうです。このボンドは国内鉄道省のほか朝鮮鉄道、南満州鉄道にも使用され、戦争末期には資材節約のため両端の銅線の長さを180mmから100mmとした戦時規格のものが使用されたこともあったそうです。銅鉄ボンドの製造は考案以来1社だけであったので製品についての問題は無かったが、昭和24年からの国鉄の物品購入方式の変更で新に数社が受注したこともあって、銅と鉄との溶着部の不完全など品質にも問題があり、また当時の道床も悪くピンの先端で銅線が折損するなど従来あまり見られなかった問題が発生してきたそうです。

この問題の解決のため昭和27年に開発されたのが現在のより線ボンド(信号ボンド)で、この構造は主体が1.6mm×7本の亜鉛鍍金鉄より線で、より線の両端を円形に平滑に延ばし銅スリーブを被せ、より線の円形両端部を心として銅、鉄を一体として圧延したもので、全長1,120mm、1,260mm、1,370mmの3種類があり、取付方法は銅鉄ボンドと同じとなっています。より線ボンドの主体部は極めて柔軟で振動の吸収性に富み、端子部は銅覆鋼芯であるため強靱であり、更に低価格と相まって永年の試用期間を経て昭和36年に日本国有鉄道規格(JRS)に登録され現在に至っています。なお、昭和31年制定の日本工業規格(JIS)には「信号ボンドPL(A)」としてより線ボンドが、「信号ボンドPL(B)」として銅鉄ボンドが登録されています。
(信号保安協会発行「鉄道信号発達史」より)

余談ですが、近くは平成8年大阪環状線新今宮駅付近の高架化工事中に新設したばかりの115mm2のインピーダンスボンド送着導線(太いビニル電線)が切断され、数十m盗難に遭った事があります。こうして顧みると五右衛門の言では有りませんが「何時の世にも銅線の盗人は絶えること無し」の想い新たです。また、戦後の国鉄の資材購入方式の変更によるトラブルも、国鉄民営化後の資材調達のオープン化による昨今の状況と対視して興味深いものを覚えます。
 
株式会社てつでん